この2ヵ月、平日は1日も欠かさず毎日、東京へ通っていましたが
それも今日で無事に終了です。
風邪も引かず、怪我もせず、よく通ったぞ、私!
と、自分で自分を誉めてみる(笑)。
途中、へこたれそうになったことも何度かあったけれど
友達やジュリアーニの励ましによって
なんとか切り抜けることが出来ました。
まぁ、仕事をしていたら毎日、東京へ通うのは当たり前なんですけどね。
で、何をしに通っていたかと言いますと「通院」です。
このブログは「楽しいブログ」を目指しているので
(愚痴っちゃうこともたびたびありますが……)
このことはずっと触れずにおこうかな、とも思っていましたが
ちょっとした「ついで」っぽくサラッと書いちゃいます。
今年の7〜8月ぐらいにブログで少し書きましたが
左胸から出血したので、病院でいろいろと検査しました。
1度は「大丈夫」という結果が出てホッとしたんですが
念のために受けたMRI検査で「乳がん」だと確定し、
ガン告知をされたその日に、入院・手術の日を決められ
3週間後には手術を受けることになったのです。
あまりにも急な出来事で自分の中ではまったく消化できませんでした。
昨日までなんでもなかったのに、いきなり
「あなたはガンです。死ぬかもしれないからすぐに手術します」
って言われても、ねぇ?
どこも痛くないし、具合も悪くないから
実感がわかなくて困りました。
乳がんの手術ということは、胸を切除するということです。
先生には「今後、転移する可能性を考えると全摘出したほうがいい」と
言われましたが、左胸がまったくなくなって平らになり、
横に30センチぐらいの一文字の傷跡が残る、と思うと
怖くて、怖くて。
眠れぬ夜と、泣き暮らす時間が何日かあって
最終的には、ガンを部分切除する「乳房温存」を選択しました。
左胸と右胸の形も大きさも明らかに違ってしまうし、
左胸には大きな傷跡が残ってしまうけれど
まったくなくなってしまうよりはいい、と思ったのです。
でも、温存するということは転移の可能性を残すということでもあります。
「手術が終わったから、はい、大丈夫」というわけにはいかず、
今後も何年にも渡って治療を受けていかなければなりません。
再発の心配があるのは術後10年だそうで、
つまりこれから10年は油断してはいけないということです。
2ヵ月、病院に毎日通っていたのは「放射線治療」を受けるためでした。
ガン細胞が残っているかもしれないので
放射線を当てて細胞を殺さなければいけません。
毎日、毎日、往復4時間以上かけて通院し、
胸に放射線を当てる日々。
副作用で吐き気がしたり、通院途中で具合が悪くなったり、
通院すること自体、かなり辛かったけれど、
いろんな意味で治療もきつかったです。
左胸は放射線のおかげでヤケド状態で、
いまでは洋服の布地が触れても痛いぐらいに焼けています。
でも、そんな「修行のような耐える日々」も今日まで。
とりあえず、今日で放射線治療は終了したので
あとは数ヵ月かけて、ヤケドが治るのを待つだけです。
本来ならば、次のステップで「抗がん剤治療」となるのですが
抗がん剤を使うと新しい細胞を全部殺すことになるため
髪の毛が全部抜けたり、体調が悪化すること必至なので
社会復帰にも時間がかかります。
なので、「なるべく、抗がん剤治療はしたくない」と
最初から希望していました。
術後の検査結果を見て、先生も
「いまのところ、抗がん剤治療はしなくても大丈夫でしょう」と
言ってくれたので、今回の放射線治療が終わったら
あとは薬を飲み続ける「ホルモン治療」のみです。
このまま再発しないことを祈らなければ。
私は乳がん患者の中ではすごく早期のほうだと思っています。
入院中、同室だった人たちは皆さん、再発したり、
転移したりしていて、苦しくてつらい抗がん剤治療を受けていました。
入院していた乳腺の病棟で、髪の毛が全部あるのは
私だけだったのはすごく衝撃的だった。
同じ頃に手術した人も、術前に抗がん剤治療を受けたそうで
(抗がん剤の効果でガンを小さくしてから手術するため)
ウィッグをつけていました。
それでも明るく振舞っている人が多くて
別の意味で驚きましたけど。
術前と術後で、私の人生は大きく変わりました。
身体的に不自由なことは増えたし、
いままでのように仕事をしたり、積極的に出歩いたりするのは
難しくなっちゃいましたからね。
慌しい東京を引き払って、のんびりした藤沢に住むことにもなっちゃったし。
いまでも、「本当にこれで良かったのか」と考えちゃうことはあります。
だけど、そのたびに、
どうしていいのかわからなくて混乱する私を励まし、
支えてくれる人がたくさんいるということを思い出します。
すごく怖くて、どうしていいかわからなくて
泣くしかなかったときに一緒に泣いてくれた人、
「少しでもいいお医者さんを」と病院を探してくれた人、
仕事を放り出して駆けつけてくれた人、
何時間でも話を聞いてくれた人。
入院までわずかな期間に、千羽鶴を折ってくれた人もいました。
入院中、先生や看護婦さんにも
「本当にいつもいろんな人が来ているね」と
なかば呆れられたぐらい、毎日誰かが顔を見せてくれた。
傷の痛みや、これから待っている長い長い治療の日々について
忘れさせてくれるような、みんなの心遣いに感謝するしかありません。
退院後、こんなに元気にしていられるのも
そんな支えてくれる人たちのおかげだと思っています。
今までみたない「人生3倍速」な生き方はもうできないけれど
これからは人並みなスピードで、無理のない程度に
頑張っていきたいです。
というわけで、私は元気です。
皆さん、ご心配なく。
このブログは今後もなるべくたくさんの情報を載せていきますね。
お楽しみに♪